カテーテルアブレーション手術までの長い道のり ⑫

栗のコンポート

 

英語圏では、ミッドナイトは夜中ごろではなく、ピッタリ深夜0時を指すようです。

6人部屋の一番入り口に近いところが開いていました。

急に人の気配がして、どやどやといっぱいの人がやってきました。

 

ミッドナイトに転院してきた人は、隣のベッドに入りました。

看護師さんも複数きて、あわただしい感じでした。点滴もつけられているようです。

 

そのうちに、転院のいきさつについてもわかってきました。

複雑な経緯のようでしたが。詳細はわかりません。いくら狭い病室でもプライバシーは大切です。

しっかり、布団をかぶって聞かないようにしていました。

その初めの感じは、看護師や医師に対しても、非常に丁寧で上品、感謝の言葉を幾度となくのべ、なんでも、はいはいとよく返事をしていました。

礼儀正しいいい人だな、と思いました。

同室のみんなもそう思ったと思います。それが、違ったのです。

医師看護士が帰った後、豹変したのです。

 

嘆きと文句の塊がそこにあり、そこから呪詛が再生され止まらないテープレコーダーをご想像下さい。

一晩中です。1秒も黙らず恨み言を聞かされる私たちの身になってほしい。

それも、繰り返し同じことを

 

これほどの負のイメージを再生し続けるのは、相当なことですね。

病気か精神を弱らせ、鬱状態を発生させたとしか思えません。

まあ、病気なんだから、みんな嘆きもあるだろう。

 

精神病なのかもしれないな。

 

自分もなぜこんな病気になったんだ、という嘆きは同様にもっていましたが、

本来的にあまり執着しないというか、すぐ飽きちゃうので、嘆きも飽きちゃいましたが、彼は違いました。

ここは大人になって我慢しようと思いました。

同室のみんなもきっとそう思ったと思います。

 

まあ、いつまでもこの病室にはいないだろう、ここはアブレーション待ちの人たちの控室だから、

夜が明けたら、それなりの病室に移るだろうと。明日は、個室に移るだろう。

と布団をかぶって寝たふりをしました。が、耐えられない感じです。

深夜1時、声が大きくなった来ましたよ。

事態は悪化しています。

内容は触れませんが、そんな、個人情報を大声でみんなに聞かせていいものかというような内容です。

おもに、前の病院のことですが。

怒りではなく、嘆きなのです。

 

この嘆きが、これから病気と闘っていこうとする、僕らをなえさせるのです。

ガッカリさせるのです。

 

耐えきれなくなった私は、トイレに行って、部屋に戻らず廊下に出ました。

深夜1時45分です。そして、廊下の窓の外の街明かりを見ながら、自分の運命について考えていました。

「まったくさえないな」と顔を手のひらでこすり、髪をぼりぼり掻きました。

救急車の赤い回転灯がまた見えました。

 

しばらくすると、廊下に一人やってきました。同室の人です。普通のおじさんです。

 

「いやになるぜ、こっちも気がめいってきたぜ」と、話しかけてきました。

 

同意すると、隣に座り、自分の病気のことについて話し始めました。

私とは違って、徐脈(脈が遅くなること)で、ペースメーカーを入れたこと、心臓が止まりそうになったら、

それが活を入れてくれるそうです。

「心臓止まったら、死んじゃうぜ」

「電池は10年もつんだぜ」と、

胸の手術の後まで見せてくれました。きれいで、ペースメーカーが下にあるとは思えない出来でした。

私には、見せるものがないので、北海道の地元ネタを披露しました。

 

しばらくすると、もう一人出てきました。紳士です。

やはり、うるさくて眠れないそうです。

「うらみってすごいね」と静かに言いました。深夜2時過ぎ、廊下の会は解散して部屋に戻りました。あきらめて布団をかぶりました。

その時です。部屋の方から、大きな声で、

 

「もういい加減にしないか、うるさいんだよ。」

「みんな疲れてるんだよ、だまりなさい」と暗い病室に緊張が走りました。

一喝した人がいたのです。

 

廊下の会とは別の人です。

 

一喝されて、声は少し小さくなりました。ぶつぶつ程度に音量は弱まりました。

そうしたら、ほかの病室からの、咳が止まらない音、何かの声が聞こえるようになりました。

病院の第一夜はこのような波乱含みの幕開けでした。

 

今度手術するときは、高くても個室にします。と心に誓うのでした。

夜が明けたら、その人はどこかに運ばれていきました。

どうなったかは、知りません。

きっと定められた運命に従って生きていくのでしょう。

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