カテーテルアブレーションを受けるために横須賀へ。
まず、一回行って見よう。
下見は済んでいるので、あのピンク色の病院にいきます。
アブレーションをするめに、横須賀まで行きます。
JALで1000円余計に払って、前の方の広めの座席に座りました。
病気だからいいんです。
羽田から品川、京急で横浜で泊まり
月曜日に横須賀中央まで行きます。
羽田から京急、車窓から見える景色は、春の息吹、実に軽やかですが、
内心は穏やかではありません。
何せ、まだ50を超えたばかりです。
心臓病になるのは早い。
なんと、家内と二人っきりで旅行するのは、
子どもが生まれてからは一度もなかったので、実に
20何年振りの出来事だったのです。
新婚旅行はハワイでした。
何故かそのことを唐突に思い出しました。
ワイキキの中級のホテルでした。あの当時は非常に豪華でした。
日焼けをしました。スキューバダイビングもしました。でっかいハンバーガーも食べました。
なぜ、そんなにお金があったのか、今となってはわかりませんが。
若いときから、楽天的で無鉄砲だったのでしょう。
ここまで来て、何か人生の最後のように思い出しているところが笑えます。
しかし、今回は楽しいことが一つもなく、発作におびえて青白い顔で行くのです。
ネットで、2泊3日の予定でとりました。
日曜に横須賀について、月曜日に病院へ行く予定です。
月火と仕事を休みました。そのあとは連休があるのでほぼ1週間の休暇です。
第一目標は
診察、アブレーションの予約を取る、
きっと夏休みぐらいかな。
そして、すぐ帰る。
バックの中の札幌の病院の先生から頂いた紹介状を確かめました。
ネットによると
アブレーションは2~3か月待ちの状態でした
ちょうどゴールデンウイークということで、混んでるかなと思いましたが何とか取れました。
横浜のホテルは奮発して、じゃらんで、ハイクラスに入るホテルを予約しました。
病院の紹介状を何度も確かめ飛行機に乗り込みました。
日曜は、横浜の街ををブラブラ歩きました。
横浜は好きな街で、学生の時は、横浜国立大学への進学を考えたほどです。
一人では何回か来たことがありました。
港町函館で生まれたので、横浜は何かと親しみがわきました。
ホテルの部屋は「ここはまだバブルですか」というぐらい豪華でした。
建てられたのがちょうどバブルの時期ですね。
横浜の夜景と、ジュニアスイートの部屋、
はしゃぐ家内をしり目に、どんどん不安がつのってきました。
なんだかというドラマでも使われたホテルで、
これとおんなじ部屋でキムタクがどうしたこうしたという話を聞かされました。
目のまえの観覧車をみながらやれやれという気分でした。
さて、翌日、京急に乗って横須賀中央駅まで行きます。
結構時間がかかります。
ドキドキしてきました。
月曜になりました。
横須賀中央駅まで行きます。
車窓から横須賀の街が見えてきます。
小泉さんの地元なんだよなとか言いながらつきました。
駅から屋根付きの商店街を歩きます。
ピンク色の建物が見えてきました。いよいよ病院についたのです。
大病院です。受付がわかりずらいです。
循環器内科の初診をうけます。保険証を出して、色々書きました。
心臓は、今のところ平常運転です。
でも、いつ発作が来るのかがわからないから、アブレーションを受けに来たのです。
心房粗動でカテーテルアブレーションを受けたいので、
診察を受けて予約したい
ということを伝えるだけですが。
ネットの情報では、北は北海道から、南は沖縄まで全国各地から集まってきているという情報もありました。
待ち時間が長かったです。待ちました、すごく待ちました。
神の手といわれる先生は、予約しませんでした。
そこまでではないだろうという気持ちでした。もっと症状の重い人もいるのでしょう。
いよいよ、名前が呼ばれました。さて、運命のお医者さんは、どんな人?
若い、というのが第一印象です。最新技術だから、若くても腕があるのだろうなんて考えました。
自信があふれていました。
自信にあふれるのは、
個人的にはイイと思います。
しばし、紹介状と、心電図を見直していました。
札幌の病院のあの兄に似た先生は、丁寧な紹介状を書いてくれたようで、
敬意をもって対応してくれました。
自分は知らないが札幌の病院は業界では有名な病院だったのかもしれません。
本当は、有名な先生だったのかもしれません。
「典型的な、心房粗動ですね。信号が回転して心拍数が3倍にしなっている。
この心電図は心房粗動ですが、こういう場合、心房細動も合わせ持っていることがよくあります。」
少し暗い気分になりました。
なぜなら、心房粗動はアブレーションの成功率が90%だが細動は50~60%だとどこかに書いてあったからです。
油断はできないですが、北海道から来たんですよね。
「これだったら(粗動だけだったら)、スケージュールに空きがあればすぐできそうだな。
ちょっと待ってください、今確認しますから」
おもむろに、電話を取って、あちこちにかけ始めました。
はい、確認しましたら、
今から検査して、3日後ぐらいに手術が出来そうですね。
どうしますか。
・・・・・・・(約10秒)
はい、お願いします。
私の人生が急展開をし始めました。会社にも休みが取れるかどうかも聞いていません。
とにかくやっちゃおう。ここでやらなくてどうするの。と思いました。
よし、これも何かの縁だ、やりますよ。
即入院です。
もう決めちゃいました。
この決断力は我ながら凄いと思います。
家内は荷物を取りにホテルに戻りました。果たして、一人で横浜に行ってここまで帰ってこれるのでしょうか不安です。
家内はもう一泊あの豪華ホテルのスイートに一人で泊まることになりました。
私はそのまま病室に連れていかれました。待ったなしのアブレーションへの旅が始まります。
以下次回