心房粗動が再発しました。
あの、初めてのカウンターショックから
もうあまり心臓のことは考えなくて、
ただ、忙しい日が続いていました。
カテーテルアブレーションへの道はまだまだ始まったばかり
抗不整脈薬が効かなくなってきました。
たまに、不整脈発生
いわゆる、脈が飛ぶやつです。
胸がググってします。
飲み続けていましたが、すこしさぼっていたことも確かです。
長く薬を飲み続けると次第に耐性ができるのでしょうか、
カルベジロール ・製品名アーチスト
β遮断薬
血圧を下げるお薬です。高血圧症のほか、狭心症や心房細動、心不全の治療にも用います。
ベラパミル塩酸塩・製品名ワンラン
カルシウム拮抗
通常、成人では頻脈性不整脈(心房細動・粗動、発作性上室性頻拍)、
狭心症、心筋梗塞(急性期を除く)、その他の虚血性心疾患に、
小児では頻脈性不整脈(心房細動・粗動、発作性上室性頻拍)の治療に用いられます。
いったい春はいつやってくるのか
1年間平穏だった私の心臓はまた発作を起こします。
一人の人間の小さな希望は、なかなかかないません。
心臓の手術を先延ばしにしているとゆうよりは、
薬を飲んでいればいいし、そんな人はたくさんいる。
このまま、寿命を全うできれば、結構ではないですか。
しかし、抗不整脈薬も効かなくなる時がやってきたのです。
不幸は前触れもなくやってきます。
また、不整脈の発作です。
心臓が暴走を始めました。ドドドドドドドドドと規則正しい頻脈です。
これは、上室性頻脈です。
粗動は、薬で止まりません。点滴で強い薬をダイレクトに打っても止まりません。
始まったら最後、電気ショック(カウンターショック)でないと止まらないのです。
またしても、日曜日の夜です。月曜日からの仕事のことでストレスを感じたのでしょう。
本人は大丈夫と言ってても、深層心理の中では、訴えかけていたのでしょう。
日曜日のサザエさん症候群がはじまりました。
今度の職場はそれほどストレスもなく、ずいぶん楽になったな、この調子ていけばいいな。
なんて思っていたのです。
初めの発作から1年半、なれと、何とはなしの自信があったのでしょう。だからこの、発作は意外でした。
でも、理由はわかりました。
気のゆるみということでしょう。油断したということでしょう。
これで大丈夫だ、よかったという安心感で、今まで気をはっていたのが緩んだのです。
薬を真面目に飲んでいなかったこともあります。
副作用で、のどが渇くし、息苦しいこともあります。
だんだん、脈が飛ぶようになっていたのです。
みゃくが飛ぶと、げっぷのような違和感があります。
これから始まる長い病気との付き合いを認識せざるおえなくなりました。
日曜日に病院に電話をかけ、タクシーも呼びました。
心臓病院はいつでも24時間営業です。
ため息がでます。
再発するとは、やはり、心臓に気質的変化が起きていて、薬じゃ収まらないのだろうと考えました。
発作を繰り返し、心臓そのものの形態が、器質的に変化してしまったのではないのでしょうか。
交感神経、副交感神経の交代時期に起こりやすい。
とにかく、情報があっちこっちに点在し、一つの方向性がつかめない。
自分で治療法も選択していかなければならないのだな、ぼんやりしていてはだめだと感じました。
もともと、健康だったので、あの一回の発作でで済むと勝手に思っていたのがよくなかったのか。
希望は希望でなかなかかないません。
病院についたら、日曜なので救急患者入り口からはいりました。
処置室のベットに寝ましたが。このベットがすごい、宇宙船の座席のようでした。
本当の危機状態にある人が使うベッドなので、周りの設備がすごい、
モニターワイヤー点滴の機器がいっぱい。
精密機械の山の中で、モニターをつけると、またもや、きれいに心拍150ぴったりで動いている。
始めの発作と同じです。
若い医者が来て、昨日からの夜勤はもうすぐ終わりなので、点滴が終わるころには、違う医者になってると言って出ていきました。
抗不整脈薬を点滴、1本目では130ぐらいまで下がる、洞調律とはいいがたい。
2本目薬剤を変えもようやく130ぐらいまで戻りました。
次の医者が来て、薬が効かないからカンターショックしましょう。と、
「その方が簡単だしいいよ。」
ということで、また、麻酔をして、
カウンターショックは覚えていなくて
目覚めたら、気持ちがよかったです。
麻酔で、ぐっすり眠ったからでしょうか。
洞調律に戻ったのです。宇宙船のようなベットを降り帰る準備をしました。
人生2回目の、直流電流を浴びました。
また、乳首のあたりをやけどしたかもしれません。
今考えると、相当心臓に負担になっていたんだろうと思います。
電気ショックですから
午後、ようやく終わって薬をもらうが、会計は今日できないので、月曜日また来てください。
といわれて帰りました。
疲れました。
しかし、これっきりで済むのか、むくむくと不安が盛り上がりました。
帰りのタクシーの運転手がしゃべる人でいろいろうるさかったです。
しゃべらないでほしい。
また、職場に迷惑をかけるな。
家人にも、もう大丈夫と言いました。
いかし、悲劇はこれで終わらず、事態は急変するのです。