カテーテルアブレーション体験記17回目
絶対安静が終わったら歩きます。
鼠径部の傷は、血管を切っているので止血が非常に重要です。
でも、歩いてトイレに行かなければならないからです。
粗動のアブレーションは、ただ、ぐるっと焼くだけなので、手術時間が短く
尿道カテーテルは必要なかったのです。
時は矢のごとし
Time flyes
あんなに心配だった事が、過去になった途端に一気に意識は変わります。
受験生が合格発表を境に、人生が展開していくように、
あっという間に状況は変わってきます。
私のように、この心房粗動という病気に関しては、
かわいそうに、まだ若いのにね。という年齢でアブレーションを受けたわけですが。
自分としては、そんなに悲劇的には受け入れてはいませんでしたが。
自分の思い通りにならないというより、
自分の思い描く結末になるようになることは少ないですね。
人は自分の望む未来しか描けません。
悲劇に苦しんでいるときも、わずかでも希望を見出すのが人間です。
退院までは、はあわただしく過ぎました。
2回目の消毒のあと、点滴の棒につかまりながら、回廊を歩く練習をしました。
止血のサポーターは外されました。きれいに。傷はくっ付いたようです。
結束はないようです。少し色が変わったくらいです。でも、
怖いのであまり強くは触っていません。
初めて歩く子供のようにぎこちなく。
10歩で大きく息をつきました。かなり弱っています。
たった2時間の手術ですが、精神的にも初手術はnegative体験でした。
少し休んでいる間に、家人に頼んで、
銀行のキャッシュコーナーで50万ほどおろしてきてもらいました。
40万円の支払いがあるからです。
後で戻ってくるということですが、
今は40万円支払わないと、北海道に帰れません。
入院手術費は高額です。
明細を見ましたが、実際の金額は100万円をはるかに越えで、
3割負担を払います。
高額医療の申請の書類を持ってきていなかったので、現金で払って帰ります。
あとで、申請が通れば、健康保険組合からお金が戻ってくるのです。
実際の負担は10万ぐらいだと思いますが。
これぐらいで間に合うはずです。
あと、この街で買ったズボンとか下着靴下の費用、飲食代もかかりました。
家内のホテル代金、
何せ二泊で帰る予定がもう10日こっちにいます。
ホテルの費用、JALの帰りの航空券はカードで払いました。
それから、新千歳空港に置きっぱなしになっている車の駐車料金も高額です。
最終的には、任意で入っている保険から、入院特約、
手術特約で結構な額が振り込まれ収支はトントンになりました。
もともと旅行感覚で荷物も何もなかったので、荷造りは簡単にすみました。
ナースステイションに挨拶に行きました。
とっても、よくしてもらったなと思いました。
旅行者が旅先でふらりと手術を受けて帰ります。そんな感じです、
フーテンの寅さんばりです。
ここでの、一週間余りは夢のようでした。
ジェットコースターにいきなり乗って今降りたという感じです。
公衆電話から職場に電話しました。仕事のことはすっかり忘れてました。(笑)
仕事というものは自分が思っているほど、自分がいなくても大丈夫なのです。
代わりは、いくらでもいるということですな。そんな、仕事でストレスをため、病気になるとは。
本当に思い込みが激しい、真面目な仕事人間だったのですね。
今日からはね、もっと自由に生きますよ、
なんたって、心臓を手術したんですよ。
そんな、明るい気分になりました。
一番大事なところを手術したんですよ。
そして、生きている。凄いことじゃありませんか。
医師と短時間面談しました、
半年後の12月にまた、
経過を見てもらうことになりました。
また来ます。ありがとうございました。
北海道からきてるということで、
スケジュール調整をしてくれ、
手術までしてくれました。
心から感謝します。
じゃ、また。
と面談は終わりました。
手術は痛かったです。
もう2度と手術はしたくないですが、さて、どうなることやら。
期外収縮は、まだあり、感じられます。頑張れ心臓。
地に足がついてない、そんな感じで、そろそろとエレベーターに乗りました。
ふわふわと歩き、受付で料金を払いました。
家人に付き添われて、玄関を出ました。
5月の日差しと風に吹かれ、ほほがスーッとします。
帰るぞ、北海道に。
途中、一回だけ振り返って、また、ずんずん歩いていきました。
デパ地下で生寿司パックを買って、
駅前のビジネスホテルに入りました。
横須賀のデパ地下の寿司パックはうまい。
食べ物がうまいといわれる北海道から来てるのに感動しました。
知らないことがいっぱいだな。
まだまだ生きるぞ。
ビジネスホテルの小さな窓から外を見ました、
少ししか開かない窓を開けました。
ベットに寝そべりました。そして、静かに、目をつむりました。