カテーテルアブレーションをしませんか。セカンドオピニオン ③
 前回の続き、これからどうしよう

カテーテルアブレーションをしませんか。え、それは何ですか。

心臓の内側を、カテーテルで焼いて心房粗動を止めることができるのです。

詳しくはココに書いてあります。よく読んで、ハンコを押して持ってきてください。

週に一回東京から先生を呼んでやっています。

葡萄と赤い壺

はあ、週一ですか。

まず、心房粗動って何ですか。

不整脈です。頻脈性です。

ひんみゃく?

心臓病初心者なのでなにもわからず、不安になりました。まったく、病院知らずの健康優良児だったものですから。体力に自信ありの人でしたから。

あせらされてるような感じだ。なんか、マジヤバい。

て、いう会話が続いていったん帰りましたが、家内と相談して、何か納得できないし、セカンドオピニオンをした方が絶対いいよ。ということになりました。

不信感というのとは違う感じの、自分の運命について少しかんがえはじめたということですかね。

この段階では、何も考えられないではないですか。初めて、心臓に異常をきたした、不整脈初心者なのだから。

そうだよな、病気のことを全然知らないで、いきなり心臓手術もないだろう。よし、いい病院を探そう。

何か、しっくりこないし、この、焦らせる感じは、訪問販売や違法セールスでよく使われる手ではないかなど、ウサギのように臆病になったのでした。

心臓の中を焼くとはずいぶん思い切ったことをするもんだ

人に聞いたり、ネットで調べたり、よさそうな病院を探し、いざ出発しました。

病院でいい病院は、看護師さんの年齢構成が、バランスがとれていることが大事です。若くてきれいな子が多い病院はなんか怪しい。医者の好みで選んでいるのではないか。なんて、考えます。

ここまでが前回までのあらすじ

ちなみにここの病院はもう行きませんでした。

電話で、違う病院に行くことにしました。ガチャ(受話器のおく音)これで、OK,さあ、これからどうなる。

新しい病院で
前の病院には何の断りもなく、もちろん紹介状もありません。
だからずいぶん長く待ちましたよ。
ここは、心臓専門の病院ですが、不整脈の専門ではなく(不整脈外来は最近作った)
心臓血管外科に関しては、北海道ではトップクラスの病院です。カテーテルといっても心筋梗塞とかの治療です。
診察室に入って、お医者さんの顔をみたら、

なんと実の兄に似そっくりではありませんか。よし決めた。ここで話を聞こう。

今までの経緯を話し、カテーテルアブレーションというよく知らないものを進められて困惑している。それで、ここに来てみたんです。

いきなり来ちゃったんで、その発作時の心電図ももらえてませんと正直に言いました。

それでいいですよ。しばらく様子をみましょう。

先生も落ち着いているし、看護師さんの年齢構成もバランスが良い、いいではないですか。

薬(不整脈薬と血液サラサラ)をもらって帰りました。これで、一安心。

薬代が高かった。これでは病院代、月10000円近くいくではないか。これからの人生に暗雲が立ち込めました。

この時点では、ここで薬を飲んでいればいいんだ。

薬を飲んでいる人はいっぱいいるんだ。

薬で押さえがきくうちは、手術なんてしなくてもいいんだと気軽に考えていたのです。

心臓手術ですよ。

怖いですね。

そして、1年後、

もう治ったと思っていたのに。

このあと、投薬でこのまま過ぎていくと思っていたのですが、風雲急を告げるのです。

このあと、薬で止まらなくなるまで2年もかからないなんて思いもよらずに。もう治った、大丈夫だと思っていました。

お酒も飲んでいましたよ。

飲んでいた薬は、

薬は新薬で納豆が食べられますよ。ということだった。何のことかと調べたら、一般的なもにはワーファリンがあって、

それを処方されると納豆が食べられないということでした。

しかし、薬が2週間分しか出ないので、月2で通うことに。

血液サラサラ、脳血栓を防ぐプラザキサは結構な値段でした。これを払い続けるのか。

それとリスモダンこの薬を飲み続けます。

しかし、いままで薬なんぞ飲んだことがなかったので、飲むのが大変でした。

薬ケースなんかも買ってきたけれどなかなか習慣になりませんでした。

霧吹きと小さな花

また、体調が戻ると気が大きくなって来て、遠い病院まで通うのが大変になってきた。それで、駅前の分院に変えてもらって楽になりました。

分院は小さいけれど、JR直結で大変便利。看護師さんとも気が合って、楽しく通院していたのです。

薬は少しさぼっていました。体調がいいので飲まないので、薬が溜まってきました。誰だって飲みたくないし、副作用(のどが渇く)があったので、それが原因だとは思いません。

薬で押さえる限界が来たのです。

また、不整脈薬が逆に、不整脈を誘発することもあるそうです。

要するに、根本的な治療ができていなかったので。ダムが決壊するように再発したのです。

もちろん24時間ホルター検査もしたし、心電図も、完全右脚ブロックのほかは所見もなく、何事もなく過ごしていました。

職場もまた、変わりました。自宅から近くなりました。

でも、何か予感があったのか、ご先祖様が命じたのか、カテーテルアブレーションは研究勉強して、東京に行く用事があったついでに、

横須賀まで足を延ばして、遠くから病院を見たりしました。ピンク色の巨大病院でした。

まあ、来ることはないと思うが、このピンク色の病院が、

年間1000件のアブレーションをする。NO1病院か、なんて、興味本位で考えました。

横須賀観光もしました。

港にあった、戦艦三笠も見学しました。バルチック艦隊と戦ったその船は、明治風で歴史を感じました。東郷平八郎のように、甲板上部にたって、ずっと先を見つめました。

人生何があるかわからない。むやみに怖がる必要はない。

海も眺めました。

横須賀は港町、北海道の港町で生まれた私は何か懐かしい感じがしました。海の匂いが気に入りました。

横浜にはない、すこしくだけた感じというのか、旅人の街のような哀愁を感じたのです。水兵たちの、ざわめきが聞こえる様でした。

「少し、ヤバい。」「人間が出会って、別れる港町にはブルースがよく似合う。」そんな、感じです。

月日は矢のように過ぎて、これで、安心だなって思っていたのに、

どんより曇った、冬も終わり、浅い春のある日それはやってきました。

雪がまだぱらぱらと残っていた日曜の朝、悪い予感も兆候も全くなく。

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